私達妙心寺派の教え"おかげさま"についてのおはなし
先月のお話「自然の恵み」を復習いたしましょう。
地球上の<いのち>は、お互いに助け合って生きているのです。 しかし、人間は今日まで、森林を伐採し、公害を発生させ、地球環境や自然環境を破壊してきました。
2500年前既に釈尊は、「人間と自然との共生」を説いておられます。自然の恵みなくして生きられない我々人間は、今こそ、地球環境・自然環境について真剣に考えましょう。
仏教は、キリスト教やイスラム教の様に絶対の神を作りません。釈尊の幼名をゴ-タマ・シッダッタと言います。修行の結果、彼は、悟りを開くのです。
悟りを開いた人を「仏陀」と申します。 彼は何を悟ったかと申しますと、「一切衆生悉く仏性を具有す」と言うことを納得(悟った)したのです。
仏性とは、仏心であります。では、その「仏心」とは。??
一般社会で使う言葉に、「地獄で仏に会った」とか「あの人仏さんのような人だね」等あります。亡くなった人を仏さんと言う時もありますが、この場合の仏は、死んだ人のことではありませんね。
外国などで困っていたら親切に助けてくれる人にあった時「地獄で仏にあった」と言います。みんなに大変親切で思いやりのある優しい人を「仏さんのような人」と表現いたします。
ある人が人間を上品・中品・下品に分けて表現しました。
上品な人は、「生きては人から喜ばれ、死んでは人から惜しまれる人」。中品な人は「生きてもよし、死んでもよし、どちらでもいい人」。
下品な人は「生きては人から嫌がられ、死んでは人から喜ばれる人」だそうです。我々のまわりにも見かける人達です。
否、誰もが「仏さんのような心」を持っているのです。 よく考えてみると人間は、オギャ-と生まれた時から、誰かが教えた訳でもないのに、泣くことと笑うことを知っています。
泣くことは、何か苦痛を訴えているのです。大人達は心配して、お乳を与えたり、オムツを見たり、さすったり、あやしたりして その原因を探します。
それでも泣きやまないと、本人はもちろんみんなも心配し、不安になり、イライラして口論もはじまります。
それが、泣きやみ、ニッコリ笑いますと「よかった。よかった」と、本人は元よりみんなもホッとして、安心します。
「泣けば地獄。笑えば極楽」この2つの生きる道を生まれた時に我々人間は、すでに授かっているのです。
シッダッタは、心のやすらぎと自由を得るために、当時の求道方法を実践するも、この行は、只無意味に難行苦行するのみであると感じ、6年間の苦行林を出ました。
厳しい難行苦行のために心身とも疲れ切った身体を菩提樹の木陰に横たえていました。
そして、シッタッダは、村の少女スジャ-タ-のささげる乳糜(牛乳をよく煮詰めエキスをとり、それに米を入れて作る乳かゆ)を食べて元気を取り戻しました。
そして、坐禅瞑想に入られましたシッダッタ35才の12月8日の朝、暁の明星の光を見た時、この世の真理を悟ったと言われています。
この真理こそ、この世にある全ての物事や現象は、他と関わりなく、孤立して存在できるものではない。
必ずいろいろな原因(因)や条件(縁)によって存在するという「存在の原理」に気づかれたのです。
ここに仏陀の教え(仏教)がはじまるのです。
其の本が「四恩の教え」1.先祖の恩。2.衆生の恩。3.自然の恵み。4.仏教の教え。であり、妙心寺派の「おかげさま」の教えであります。
おかげさまのお話。完
話 : 大興寺住職 一色宏襄