私達妙心寺派の教え"おかげさま"についてのおはなし

先月のお話「衆生(多くの生き物)の恩」を復習いたしましょう。人間は、生き物を殺さずして生きていけない動物であります。
しかし、人間は、多くの生き物の命をいただき、生かされていることを自覚し、懺悔と感謝が出来ます。 さて、多くの生き物の命は、どの様にして育まれたのでしょう。

私達の「いのち」は、母の胎内にいる時は「へその緒」(赤ちゃんの血管)がお母さんの胎盤につながっていて育てられました
やがて外に出ますと、自らの呼吸によって生きていきます。 空気中から酸素をとり、その酸素を血液と共に身体の隅々にまで送っています。
呼吸が止まって酸素がこなくなると、脳の細胞はすぐに死んでしまいます。心臓も止まり死んでしまいます。

人間は生まれた時、何も言いませんが、産婆さんが赤ちゃんを取り上げ背中を叩くと「オギャ-」と口や鼻に入っているものを全て吐きだします。息を呼く事によって自分で呼吸をはじめます。
 坐禅においても、気海丹田から息をゆっくり吐くことを教えています。息を吐くという行為は自分の意志が働いているのです。

息を出し切ってしまえば自然と空気は体内に入ってきます。 息を呼くのは自分の意志。空気を吸うのは自然の力。自然界より我々は、生きなさいという力をいただいているのです。
1分間に、海岸に打ち寄せる波の数が18回だそうです。それだけ自然界から、人間に生きる力を与えられているようです。

人間のル-ツを辿ると、海のアメ-バ-に帰るそうです。母の胎内の羊水は、海水に似ているそうです。海と言う字には、母という字が入っています。
人間の平均の呼吸数は1分間に18回程です。これは当然、呼いて18回、吸って18回です。

呼吸をすることによって心臓が動き熱が生じます。18+18=36度。36+36=72は1分間の脈拍数の平均値。 72+72=144は、血圧の平均値。
この様に考えてきますと、やはり人間は、自然のメカニズムの中で生かされていることに気づかされます。

「いのち」の原点は呼吸にあります。私達は、衣食住には大変気を使いお金を使いますが、呼吸に関しては、誠に無頓着です。
 緊張したり不安になれば息は乱れます。「喘息」は病気。「青息吐息」は心配、弱気、不景気。愚痴をこぼせば「ため息」。

「これじゃ身体にいいわきゃないよ。」息は自らの心と書きます。  自らの心を見つめる為にも、1日1度は静かに座って、心を落ち着け、呼吸をゆっくりして、呼吸数を少なくする事に心がければ、長い息は長生きに通じるのであります。
 人間や動物は酸素をとって炭酸ガスを吐き出します。植物は、炭酸ガスを吸って酸素を吐き出します。
この様に地球には、一杯植物があるから、我々動物がいくら呼吸をしても空気中の酸素はなくなることはありません。

私達が生きているのは、呼吸(息)をしているからです。私達が呼吸の出来るのは、植物のおかげであります。
この様に、地球上の<いのち>は、お互いに助け合って生きているのです。これを共生と言います。これが「おかげさまのこころ」です。
しかし、人間は今日まで、森林を伐採し、公害を発生させ、地球環境や自然環境を破壊してきました。

2500年前既に釈尊は、「人間と自然との共生」を説いておられます。いよいよ来年は、愛知県において「愛 地球博」が開催されます。
自然の恵みなくして生きられない我々人間は、今こそ、地球環境・自然環境について真剣に考えてみましょう。

つづく

話 : 大興寺住職 一色宏襄