私達妙心寺派の教え"おかげさま"についてのおはなし

「おげんきですか」「ハイ、おかげさまで」。日常私達は「おかげさま」という言葉をなにげなく使っていますが、どんな意味があるのでしょう。

おかげさまは「お陰様」と書くと少し解るような気がします。
辞書を調べたら、1.神仏の助け、2.恵み、ご恩。とありました。

私達臨済宗妙心寺派の教えに「報恩」という言葉があります。佛教の教えに「四恩」がございます。この「四恩」の教えを考えてみましょう。

「恩」とは、梵語(古代インドの語)のカタンニュ-。存在理由と言う意味だそうです。
私達が日常感じている「恩」の意味とは、少し違っているのではないでしょうか。
その「恩」とは、原因の因+心=恩(会意文字)、自分が今ここに存在している原因が解ること。と解釈できます。決して、親の恩だとか、先生の恩、社会の恩という、上から下に説教する時に使う意味ではありません。

それでは、いま私や貴方が、ここに存在し得ている原因を考えてみましょう。

私たちは、自分の力で生まれた人はいませんね。子供のない人は居ても、親のない人は誰もいません。親が居てはじめて自分が存在します。その親も又親がいます。10代さかのぼると1024人の親がいる事になります。これをご先祖と呼んでいます。もしご先祖の中の1人でも違えば今の私はありません。

子供や孫のかわいくない人はいるでしょうか?。もし居たらそれは人間として正しい思いと言えるのでしょうか?人間としての「こころ」を持った人なら、子や孫のしあわせを願うのではないでしょうか。もし孫が、不治の病にかかったなら自分のいのちと引き換えても孫の命を救いたいと思うのが爺さんや婆さんの気持ちではないでしょうか。

私達の「いのち」は、ただのいのちでなく、「幸せになるように」という、親やご先祖の願いのこもったいのちなのです。その事が解った時、草葉の陰からご先祖は、我々を守ってくれていることが実感できるのです。

「子を持って知る親の恩」「その年になって身に浸む親心」是非解りたいものです。

第1回は、4恩の中の1つ「先祖の恩」についてでした。

つづく

話 : 大興寺住職 一色宏襄