「空」は、〈空しい・無い〉だけの意味ではありません。私たちの身は、病んだり、老いたりして刻々に移り変っていくものであります。そして、やがて死ぬべき自分が、いま・ここにこうして生きているのもまた事実であります。生きていることの不思議を実感することが、豊かな人間性を育ててゆく上に何よりも大切なことであります。

また、いまここに生きていることができるのは、さきに「生活信条」で学んだように多くの力に支えられているからであります。自分一人の力で生きれるものではありません。また、自分一人が他とのかかわりあいなしに存在できるものでもありません。

「空」とは、「無常と無我」をその内容としています。「無常」は、移り変ることで、咲いた花が散るという自然の現象そのこと自体が「無常」であります。同時につぼみが日増しにふくらんで美しく開花するのもまた「無常」なのであります。ゆえに空の思想は、積極的に創造するはたらきを示唆しているものであります。

「無我」を平たくいうと「おかげ」であります。したがって、「無我」がわかるということは、「おかげさま」の道理が身についたということになります。「おかげ」がわかるということは、"自分が"という自我を超えることであります。自我が抜け、「おかげ」がわかることが、信心の最上の喜びであります。

このように、わが身を「無常と無我」を内容とする、空なるものであると自覚した時、心静かに坐禅ができるのであります。

衆生は本来仏なりと信じて拝んでゆきましょう。

衆生本来仏なり人はだれでも仏になる可能性を持っている、と信じて人に接してゆくことが大切であります。

明治の名僧といわれ、鎌倉の円覚寺・建長寺の両本山の管長をなさった釈宗演老師は(一九一九年寂)少年時代、京都の建仁寺の山内で修学しておられました。
ある夏の日師匠が外出されたのをよいことに、涼しい所を選んで昼寝をしようと企てた。
そのとき、師匠が忘れ物を取りに、寺へもどって来られました。ところが、この時宗演小僧は、師匠の居間に通ずる渡り廊下で横になっていた。気がついたとき、師匠はすでに身近に立っておられたのです。起き上ってあやまるタイミングを失い、しかたなくその場でたぬき寝入りをきめこみました。すると師匠は起こそうともせず、宗演小僧の足のあたりを合掌して、しかも「ごめんなされや!」と低声で、うそ寝の小僧にわびをいいながらまたがれました・・・。

宗演老師は、後になって当時を述懐されて次のようにいわれました。
「あのとき、わしは子どもながら全身が恥じらいと後悔の念でまっ赤になった。わしの狸寝入りを百も承知の上で、わしを叱りもせず手を合わして、逆に"ごめんなされや〃と詫びながら、わしの身体のすそをおまたぎになったのだ。もったいない恩師の慈悲である」と。
宗演老師は、また言葉をつづけて「わしらは、"衆生本来仏なり"と、白隠禅師の『坐禅和讃』を読んでいるが、図々しい小僧の狸寝に合掌できるだろうか。人間を教育するには、恩師の仏性観をよく学ばねばならぬ」と感概をこめて語られたといいます。 今こそ、こうした人間観に基づく教育法が必要なのではないでしょうか。

社会を心の花園と念じて和やかに生きましょう。

社会を心の花園と念ずるは、『維摩経』に見る"仏国土造立(つくる)"の願いに通じます。仏国土造立というのは、真実の仏法が生きている理想社会を、この世に実現しようと心がけることであります。

『維摩経』の説く仏国土造立の念願は、決して観念論でも理想論でもありません。政治や経済の理念の底に、仏さまの教えを生かし、その教に基づいた生活を国民一人一人がしてゆくなら、確実に世の中は理想社会に近づきよくなっていきます。

「和やかに生きる」とは、ただ平穏無事に仲よく生きようという単純な希望ではありません。仏教思想では、多くの因と縁との出会いの結果を「和」といっています。聖徳太子が、『憲法十七条』の第一条で「和をもって貴しとなす」といわれるのは、「因縁の法」を貴ぶことを意味しています。因縁の法を信じ、因縁の法にしたがうなら、人間同士の間も、また、社会も円満で平和になり、花園の仏国土造立につながってゆくのであります。

「和を貴ぶ」ということを人生論でいうと、人と人との出会い、めぐりあいを大切に尊重するということであります。
また、聖徳太子が「杵ふことなきを宗とせよ」と示されているのは、因縁の法に背くことのない生き方をさしています。
因縁の法とは、ものごとはすべて、さまざまな原因(因)と条件(縁)がかかわりあって生じている道理をいいます。この道理を無視したときあらゆる不幸が生じてくるのであります。

因縁の理法・道理に目覚めて日暮らしするところに真の人間の生き方が生まれてきます。